2011年2月2日(Wed) Another view of Guam (1)

昨年末に母と二人でグアム旅行に行きました。これでグアムに7回行った事になります。

今までは同世代や若いスタッフ・友人と一緒に行っていましたので「南のリゾートアイランド」という感じの旅行でした。

今回は実の兄が南方戦線で戦死した母親と一緒でしたので、グアムの「きれいな海」を見る目が全く違ったものとなりました。

彼女の兄は戦地で親友が高熱を出した時(その人の話によるとマラリアだそうです。)自分が持っていた貴重な薬を彼に与えて、親友は一命をとりとめたそうです。その後すぐに彼女の兄の方が高熱を出してしまった時には薬が無く、そのまま命を引き取ったそうです。

親友は極限に近い困難な状況の中でも、小銭などのポケットに入る程度の遺品を遺体からとりだして日本に持ち帰り、戦後日本に帰ってから、わざわざ実家までその遺品を持参し涙ながらに状況を報告してくれたそうです。「私の代わりに彼は死んだのです。」と。

私が幼稚園か小学校の低学年の時にその話を聞いて小銭と手紙らしきものを見せてもらった記憶があります。小さかったのですが、不思議と今でもはっきりと覚えています。

母は海岸で写真をとったり、小さな丸い石ころを探したりしていました。日に焼ける事が大嫌いな母がこんな風に海の写真を一生懸命とるのがとても不思議でしたが、「どんな所で戦死したかわかるように、寝たきりになっている兄(戦死した兄の弟)に見せるのだ。」と言われてやっと理由と気持ちが解りました。

ホテルの部屋で数センチ程の白く小さな白い石ころを手にしながら「裕和、これ持って帰っていいかな?」と言います。「植物の種とかじゃなかったら一つくらい問題ないよ。」と私。

「これを戦死した兄の遺骨だと思って持って帰ろうと思ったけど、多くの戦死者の霊が入っていて飛行機が落ちたら困るからやめとく。」と母。「そう思うならやめといたら。好きなようにしていいと思うよ。」と私。

母は手のひらに乗せた白く小さな丸い石ころをじっと見つめていました。私には一瞬それが小さな頭蓋骨のように見えました。もう帰りの集合時間が迫っておりビーチに戻しに行く訳にはいこません。ホテルの近くの茂みに入ってそっと小さな石を土の上に置いて手を合わせて日本に帰ってきました。

Another view of Guam (1)