2009年12月26日(Sat) 桜の花の如く

 私の父方の家系は,癌で亡くなった人も皆無で,私の祖母,つまり父の母親は103歳まで生きたような健康長寿の家系です。父は学生時代バスケットの選手をしていたほどのスポーツマンで,79歳になった今年も自分の所属するゴルフクラブの月例杯で優勝しており,前人未到の2度目のグランドチャンピオンを目指して練習に励んでいました。急逝する5日前にもゴルフの試合に参加していましたが,その日の成績は思わしくなかったようで,帰宅後母に“お父さんのゴルフもそろそろ終わりかも知れん。”と言っていたそうです。母は,気丈な父がその様な事を言うのに大変驚いたそうです。そのゴルフの前日,三田屋で一緒に食事をした時には生ビールとワインを口にして,“お父さんは毎日ビールを飲んでいるほうが体の調子がいいんや。”と言っていたのですが,その翌日から亡くなる日まで酒を飲むのを控えていたそうで,ひょっとしたら最近体調がすぐれなかったのではないか,三田でお酒を飲ませたり,脂の乗った牛肉を食べさせたりした事が悪かったのではないかと思ったりもします。桑名正博の弾き語りを聞く時もじっと目をつぶって聞いていたので,“面白くないのか,酔っ払ってしんどいのかな?”と思っていたのですが,あまり気にかけずにいました。

 金曜日の夜母から“お父さんが血を吐いて倒れた。救急隊が心臓マッサージをしている。”との連絡を受け,中国自動車道を西へ西へと車を走らせていました。他に車はほとんどいませんでしたが,スピード違反で捕まるとますます時間がかかるので,焦る気持ちを抑えてひたすら暗闇を走り続けました。携帯が鳴ったので出てみると母親でした。 母;“今どこ?” 私;“福崎” 母;“お父さん,もうだめ・・・。” 私;“死んでしもたん?” 母;“うん。早よ帰ってきて。”病院に到着するまでの30分間、暗闇を走る車の中で何を考え,何を思ったかは覚えていません。悪い夢のようだけれども,明らかに目は覚めている。救急隊が心臓マッサージをしていると言っていたので,まさかとは思っていたが,父親が死んだようだ。事実のようだ。

 田舎の市民病院の救急処置室はICUと呼ぶにはお粗末なものに見えました。処置台の上には動かなくなった父が横たわっていましたが,体温も温かくただ眠っているだけのように見えました。大学病院の口腔外科時代には何人もの患者さんの最期を見てきていますので,目の前の父親が息を吹き返す可能性が無い事は瞬時に判断できました。医師は死因を確定したかったと見えて,父親に持病がなかったのか等を色々尋ねてきます。この時,私は別に死因が何かなど知りたくありませんでした。知りたかった事は父親が死ぬ時苦しく無かったのかということだけでした。失血性のショックで亡くなったようで,窒息死では無いとの医師の説明を受けて“お父さんは,ぼーっとなって眠るように死んだんや。全然苦しく無かったんやで。”と母親に言ってやりました。

 口腔外科医は大学病院では一般の外科医と全く同じような仕事をしています。目の前の父親が生き返らない事は家族の中で私が一番わかっているはずです。それでも,父親の肩を揺さぶりながら“お父さん,起きて。起きて。何やっとんや。はよ家にかえろ。”と繰り返し,繰り返し言っている自分に気がつきました。

私達の涙が枯れるまで,医師も看護師も室外で待ってくれていました。看護師が救急処置の際に抜けてしまったと父親の上の前歯をビニール袋に入れて返してくれました。私はあの世で前歯が無いと困るだろうと思い,すぐに元通りのように再植してやりました。まだ新鮮だからフィブリンでくっつくだろうな。簡単に落ちる事はないだろう。などと,こんな状況で考えてしまう自分が滑稽でした。

 看護師は父親の体をきれいにしてくれた後,お父さんを自宅に連れて帰る方法を選んで下さいと一枚の紙を見せてくれました。そこには葬儀場の名前がずらっと並んでおり,どこの葬儀場のバンを呼ぶか決めてくれと言うのです。まだ死後2時間半ほどです。葬儀場のバンに父親を乗せる事をできれば避けたいと思った私は,何とか兄弟3人で背負って帰るか,ストレッチャーを借りて家まで押して帰れないかと一瞬思いました。しかし夜中に遺体を背負って道路を歩く訳にもいかないでしょうし,何とか私達の自家用車に入らないかとも思ったのですが,ミニバン以下のサイズでは無理との事で諦めました。

 従兄に東京医科歯科の教授がいます。彼に“私の父の死に方,良い方だと思うんだけど?”と言うと“最高の死に方でしょう。これ以上いい最期はないよ。”と言ってくれました。私の知人の(年配の)先生も“こんな事を言うと不謹慎ですが,お父さんが羨ましい。私もこんな死に方がしたいよ。”とおっしゃっていました。

誰にも迷惑をかけずに桜の花のように散った父親。最期までカッコイイとこ見せてくれるなあ。