2007年5月4日(Fri) 三田の歴史の秘密を初めて知りました。
西山のパンプキンのすぐ近くにある心月院。白州次郎、正子夫妻のお墓があることですっかり有名になりました。こちらの御住職が“三田の歴史はここから始まっている。”と教えて下さいました。昔は三田には大して有能な人はいなかったそうです。九鬼家が鳥羽からやってきた時に(?)多くの有能な人物を連れてきたため白洲家のような全国区の人が三田にも現れたのですが、皆その後、神戸に出て行ったためにしばらく停滞していたようです(間違っていたらゴメンなさい!)。最近、ニュータウンができてまた新しい人の流入が起こりましたので、三田をこよなく愛する私としては、全国区レベルの人が現れてくれる事を期待しています。

パンプキンにはよく来ているけど。
西山のパンプキンからトリドールの方に走って2つ目位の交差点を右折。駐車場もあり、行きやすい場所です。三田の歴史がここから始まったと思うと、済みついて10年以上経ち三田の人間になりつつつある私には、非常に意味のある場所に思えました。

“林”は学校の意味だそうです。
「何々“林”とは“学校”という意味ですよ。」と御住職が教えて下さいました。護国林とありますので、ここが三田の Defence と Culture の中心だった事がわかります。その昔、どれだけたくさんの人がここを訪れて、ここで何をしていたのかと考えるだけでも不思議な気持ちになります。西山は住宅地として開発されていますが、市当局はもっと深遠な配慮の基に文化を守ってほしいと感じました。

三田市民が誇れるお寺です。
きれいに手入れがなされているつつじは、御住職が手入れされているそうです。建物は江戸時代のもので、修理しながら維持しているとの事。立派だと思います。

御住職は永平寺から。
御住職は35年前に永平寺から三田に来られたそうです。知らない所に一人でやって来て、立派に三田の文化のために貢献されている姿を見て、尊敬の念でいっぱいになりました。私も知らない所にやってきた部類の人間ですが、見習って三田のためになれるように努力したいと感じました。