2011年2月10日(Thu) 新しい友人

昨夜久しぶりにマットに会いました。

インフルエンザから回復したばかりだそうで、いつものパワフルマットではありませんでしたが、変わらぬ友情を確かめ合いました。

今回は私の若い友人(高さんと萩原さん)をマットに紹介したくて食事会を企画したのです。

神戸のベジタリアンレストランを高さんが予約してくれました。彼女のレストランを探す才能は素晴らしく、前回の農家というベジタリアンレストランと同様に雰囲気、サービス、値段共に最高のレストランでした。

高さんも萩原さんも長期間米国に在住されていたので英語が堪能です。この夜は主に英語で会話が行われました。二人とも英語の能力は当然として、会話の内容が豊富な教養に裏打ちされており、日米の文化の違いや教育システムの問題、経済状況に関する事など多岐に渡って会話が弾みました。

私は聞き手に回る事が多かったのですが、今月末にシカゴでの学会に参加するので丁度良いウォーミングアップになりました。

高さんが“英保先生は顔が広い(人脈が多い)ですね。”とほめてくれたのですが、実は私はどちらかというと友達を作るのが下手だし、前に出て行くというよりは後ろにいる方だと思いますので、こんな風にほめてもらってくすぐったい感じがしました。

最近、“断捨離”という言葉がはやっており、その影響を受けて、人間関係にも“不要な人間関係は切って、本当に必要な、あるいは自分に役に立つ人間関係だけ残すようにします。”という意見を聞いた事があります。

はたしてそうでしょうか?人間関係は自分に役立つとかそうじゃないとかいったレベルで切ったりつないだり思い通りにできるものでしょうか?

私はこう思います。例えば私が菜食主義である事、テレビは良くないと思うので、家からテレビを無くして10年経つため芸能関係やバラエティー番組の話題は全く解らないがそれでも平気な事、人と同じであるということに全く魅力を感じない事、など、自分が大切だと思う事、価値観を、回りに合わせようとして変える事無しに、そのまま大事にすれば良いと思うのです。

その結果、私と価値感を共有し、私の考えに共感してくれる人だけが回りに残ってゆく。それが自分の役に立つとか立たないとかいったレベルではなく、もっともっと高い次元での人間関係を自然に作ってくれると思います。

数は少ないかも知れないが、まるで宝石のように大切な友人がひとり、またひとりと増え、友情の輪がひろがります。

素晴らしい友人を与えてくれる神に感謝します。

新しい友人